38-2.忍者の世界・展/伊賀編★下

■説明パネルと写真パネル■

 

『忍者展』の解説パネルは、十数冊の「忍者本」を比較検討し、私なりの解説を書きました。文字打ちは「写植屋」さん。図表や、イラスト、カットは、イラストレーターに発注済みでした。

 

あとどうしても必要なのが「写真パネル」。
「忍者本」を出しているどこかの出版社から、ポジ(写真)を借りるという手もありましたが、借料を浮かすために、自分で撮ることにしました。
 

皇居の「半蔵門」、四谷の「服部半蔵」の墓の写真は既に押えていました。伊賀で撮りたい写真は、「百地三太夫」の墓と、「藤林長門」の墓、その他、数点。慣れない一眼レフを首から下げて、レンタカーを借りて、伊賀の山間部へと分け入りました。
 

※「服部半蔵」「百地三太夫」「藤林長門」は、伊賀の三上忍。
 

当日は小雪が朝ちょっと降りましたが、大して寒くない薄曇りの空模様。
多分写真のプロに云わせれば絶好の「写真日和」で、ドシロウトの私にも、思いもしなかった「いい写真」が撮れました。
 

≪薄っすら雪の被った、孤高の上忍の墓ふたつ!≫
 

■元市長奥瀬平七郎さん■
 

伊賀での私の最大の収穫は、元上野市長の奥瀬平七郎さんにお会いし、お話が聞けたことです。伊賀で泊った旅館のご主人に、事情をお話ししたところ、「それならば」と電話でご紹介していただきました。
 

奥瀬平七郎さんは市長時代、「伊賀流忍者博物館」の建設に尽力された方で、観光都市上野をつくった第一人者でもありました。また、忍者研究家としても有名な方で、『忍者の歴史』(上野市観光協会)他の著書があります。
 

また奥瀬さんは、市川雷蔵の主演した映画『忍びの者』の原作に、多大な影響を与えています。
≪百地三太夫/藤林長門・同一人物説≫がそれです。映画では、怪優「伊藤雄之助」が一人二役を演じていました。
 

「本当は、こういうのは嫌いなんだ」と、私が『忍者展』の実施概要をご説明したとき、奥瀬さんはポツリとおっしゃいました。「だって、ウソだもの」
 

確かに、商業施設での来場者の興味を引くため、誇張や、都合のいい説の引用を、数多く盛り込んでいました。研究者である奥瀬さんとしては、内容に不満があるのも無理はないと考えました。「でも、仕方がないんだろうな、橘さんとしては」
 

忍者を普及させるためと、最後にはご理解いただきました。
 

そして、おそらく市長時代に観光のために撮影されたと思われる、貴重な写真を数点、貸していただきました。
そこには、伊賀上野城のお堀で≪水蜘蛛を使う忍者≫ や、 ≪石垣を登る忍者≫、お城をバックに ≪高くジャンプする忍者≫ が、モノクロで映し出されていました。
 

“素朴な忍術”とも云える ≪うずら隠れの術≫や≪観音隠れの術≫、また、いくつかの ≪遁法≫ (とんぽう~逃げる術)の写真もありました。市の職員かも知れない黒装束を着た忍者が、妙に“リアル”に活写されていたのです。
 

     ◇         ◇         ◇
 

奥瀬さんから貸していただいた写真は、東京に戻ってすぐパネルに起こし、返却しました。私が作った他の「説明パネル」と混ぜ、全体のストーリーの中で並べ替えてみると、ぐっと真実味が増しました。「風格」さえ出たような気がしました。
 

 *           *            *
 

一昨年、倉庫に眠っていたそれらの写真パネルを、経緯(いきさつ)や事情を話して、「伊賀流忍者博物館」に寄贈しました。奥瀬さんはすでに他界されたと、その時お聞きしました。「奥瀬さんからお借りした写真を含む」件をお話ししたところ、「そうした写真はたぶん所蔵していない」と、大変喜んでいただきました。
 

しばらくして、「伊賀流忍者博物館」より「伊賀牛」の詰め合わせが送られてきました。地理的に「松坂牛」に近いせいかどうか、霜降りの高級肉で、家族で美味しくいただきました。
 

★次回は「甲賀編」です。