12.淀川長治さんの憶い出

淀川長治さんにお願いしたお仕事は、ある会社の社員研修での講演会でした。当時、まだ淀川さんはお元気でしたので、晩年のホテル住いでなく、神奈川県の川崎市にお住いでした。
 

講演開始時刻は19時半。少し早めでしたが、16時半に車でお迎えに上がりました。
高台にある、平屋造りの、年代ものの一軒家が淀川さんのご自宅でした。表札を確認し、ベルを鳴らすと、すぐに白いワイシャツ姿のご本人が玄関口に姿を見せらせ、
『ちょっと、待ってて下さいね』といって、一旦中に消えました。やがてテレビでおなじみの、上品な背広姿の淀川さんが私の目の前に現れました。「ああ、ホンモノの淀川長治だ!」
 

車を発進させて、すぐに淀川さんはにこやかな声で後ろの席から、私に声を掛けられました。『祐天寺だと思って引き受けたんですが、吉祥寺だったんですね』と。続いて『吉祥寺だと分かっていたら、引き受けませんでしたよ』とおっしゃいました。とっさに、なんと答えたものか、私は迷いました。
 

『どれくらい、時間かかります?』「1時間半位だと思います」『ハイ、分りました』・・・そのあと、行きの車の中でどんなことを話したのか、舞い上がっていた私は、今思い出すことが出来ません。
 

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講演会は大いに盛り上がりました。“熱演”という言葉がぴったりくる内容でした。2時間の予定を大幅に越え、3時間近くの“独演会”を、淀川さんはひとりで見事にこなされました。
 

途中、スポンサーの担当者の指示を受け、私が太字マジックで「カンペ(スケッチブック)」に『あと5分』と書こうが、指をグルグル回して「巻き」の合図を送ろうが、淀川さんは、チラリと見てはニコニコしながら、
 

『あちらで、担当の人が「もうそろそろやめろ」と云ってますが、私はやめませんよ』と、聴衆を味方に付けての反撃をしてきました。
スポンサー担当者も、「参っちゃったね。もう、誰にもとめられないなあ」と、ギブアップしました。
 

『さよなら、さよなら。さよなら』と、お決まりの言葉で締め、淀川長治講演会は終了しました。聴衆はもちろん、スポンサー担当者も、私も、その話術を堪能しました。満腹で、満足して、ヘラヘラ笑いながら、“もう、入らな~い!”と叫びたいような感覚でした。
 

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後日談と云うか、その日の深夜。私と淀川さんは、見知らぬ場所の、どこにでもありそうなラーメン屋に入りました。ご自宅にお送りしていて、ついに私が道に迷ったからです。
 

「お腹、お空きじゃないですか」と私。
『空きましたね』と淀川さん。
「ラーメンでもいいですか」
『いいですね』
「じゃ、あそこにしましょう」と、私は車を路肩に止めました。
 

ガラリと引き戸を開け、ふたりして店に入った途端、ギョッとした視線。そしてすぐに(あっ、淀川さんだあ!)という破れんばかりの笑顔の歓迎を受けました。
『この人がね、道に迷っちゃったんですよ』と、私を指差して、淀川さん。
 

そこにいたすべてのお客さんから、私は寄ってたかって道を教えられ、なんとか無事送り届けることができました。
 

車の中で・・・『橘さん、世の中に悪い人はいないでしょ』「はい、そうですね」(だって、淀川さんだもの)という言葉はグッと腹に仕舞い込みました。